FPになったきっかけ
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代表
藤川 太
Futoshi Fujikawa山口県出身。
ファイナンシャルプランナー CFP認定者、宅地建物取引士。
慶応義塾大学大学院理工学研究科修了後、自動車会社にて燃料電池自動車の研究開発に従事。
1998年にファイナンシャル・プランナーとして独立。
家計の個人相談の普及を目指し、2001年に「家計の見直し相談センター」を設立。【主な著書】
やっぱりサラリーマンは2度破産する(朝日新聞出版)
年収が上がらなくてもお金が増える生き方(プレジデント社)
1億円貯める人のお金の習慣(PHP研究所) ほか多数
独立を決意、ある雑誌との出会い
1993年4月大学院修了後、某自動車メーカーに勤務。燃料電池自動車の研究開発をしていました。「環境自動車を作る」という責務を担い、自分の仕事に誇りとやりがいと感じていました。ところが、社内において「研究職」というポジションがたいへん不明確であることに徐々に不満を持ち始めました。親が事業を行っていた影響もあってか、学生時代から「いつか起業をしたい」という夢を抱いていましたので、私の心の中で、「独立」という二文字が日に日に大きくなっていったのです。
人生を変えた瞬間
「会社を辞めよう」、そう決意したのは1997年の春頃のことでした。すでに結婚をしていましたから、会社を辞めたら家計はたいへんです。会社を辞めることに対して妻に反対されるどころか、どちらかというと賛成だったのですが、やはり不安だったのでしょう。「家計の見直し」が特集されている雑誌が無造作にテーブルの上においてありました。
しかし、この何気なく読んだ雑誌が、ここまで自分の人生を大きく変えようとは、この時は思いもよりませんでした。
ファイナンシャルプランナーという資格を知る
家計が大変になることは分かっていたので、とても興味深く記事を読み進めました。読んでみると、知らないことばかり。知らないことで私たちがどれだけ損をしているか痛感し、自分の家計を見直さなければならないと突き動かされました。
その一方で、目に付いたのが記事中コメントしている方々の肩書きに書いてあった「ファイナンシャル・プランナー(FP)」という文字。当時はFPなんて全く聞いたこともありません。すぐにパソコン通信で調べてみると、「資格」の名前だということが分かりました。当時はそんなレベルです(笑)。
協会を通じて、資格取得の為の講座へ
資格認定機関である「日本ファイナンシャル・プランナーズ協会」という存在も知り、すぐに電話をしました。自分の家計を見直すために、経済や家計について体系的に学びたい。その知識は独立した後の生活に絶対に役に立つと思ったのです。このときは、資格を取って、それを職業にするとは夢にも思っていませんでした。
協会の方の話によると、私が学びたいと思い描いていたような内容の講座を受け、試験に合格すると資格認定されるとのこと。そして、その講座がすぐさま今週末に始まるといいます!何とタイミングがいいのでしょう。まるで私のためのスケジュールのように感じました。ただし、受講料は20数万円と高額なものでした。
普段ならあきらめていたところですが、不思議とそのときの私は、まったく悩むことなく、すぐに受講を申し込みました。当然ながら20数万円というお金は当時の藤川家には大きな出費でしたが、妻がもしものときのために積み立ててくれていたお金を「がんばって」と出してくれたのでした。
講座を受け、FPの道へ
さぁ講座が始まりました。ライフプラン、税金、社会保険、保険、ローン、運用など家計に関する幅広い知識を身につけるカリキュラムです。経済について全くの素人でしたので、思ったよりも苦戦しました。
講座ではこうした知識を詰め込む授業だけでなく、モデル家計の見直しを行う実習もありました。もともと、自分の家計を見直したくて勉強を始めた訳ですし、私は理系人間。待ってましたとばかりに、すぐさま自分の家計を分析してみました。すると、自分の家計のおかれている状況が、分析することでとても分かりやすく理解できました。が、しかしこのままでは自分の家計が破綻するという結果も同時に知ることとなったのです!
驚いたことに、会社を辞めても、辞めなくても、このままでは家計が破綻するのです(苦笑)。ライフプランは、それほど高望みしたものではありません。マイホームを持ち、子どもは2人、高校くらいからは私立にいくだろうか。妻も働いています。なのに、破綻です。これはかなりショックでした。
わが家の家計見直しプラン
早速見直しプランを検討します。すると、どうでしょう。一生涯で1,500万円もの支出をカットできたのです。当然、将来の家計は大幅に改善。その多くは生命保険の見直しで保険料が浮いたものでした。これには正直驚きました。資格が取れて、自分の家計も見直せる、高額と思っていた受講料の20数万円は軽く元をとりました。
自分の家計が大きく改善したこのときの「感動と喜び」。この感激を知らない人が、世の中にはたくさんいるのではないかと思いました。これまで環境技術を研究してきましたが、この分野は自分がやらなくても誰かがやるでしょう。しかし、「家計の見直し」は自分がやるべきなのではないか。自分を必要としてくれる人が、家計を見直す必要のある人々がきっとたくさんいるに違いない。「俺がやらねば、誰がやる!」そう思ったのです。これから「FPの時代」が来ると確信した瞬間でもありました。
弟子にしてください!
当時の講師は、いまも活躍されていらっしゃる大御所FP陣。いま思うと、かなり豪華な顔ぶれでした。中でも、浅井秀一さん、小野瑛子さん(当センターの初代代表)の活き活きと話す姿を見ていると、自然とこちらもやる気が沸いてくるような気持ちになります。思いついたら即行動。講座で感銘を受けた浅井さんと小野さんのところへ、名刺を持って「弟子にしてください!」とお願いしました。
浅井さんにはあっさり断られましたが、小野さんからはタイミングよく「徒弟制度」を始めることを知らされました。1997年11月に開催される「FPフェア」(日本FP協会主催で毎年行われるイベント)で募集するとのこと。あと5ヶ月、私はFPの勉強をしながら、その日を待つこととしました。
徒弟制度への挑戦
当時はFPとして成功している人がほとんどいませんでしたし、私のようなずぶの素人がいきなりFPとして仕事ができるわけがありません。ですから、この「徒弟制度」というチャンスは逃せません。資格取得後、いよいよ会社を辞めました。そして、この徒弟制度に賭けたのです!
徒弟制度の募集条件を見ると、「給与ゼロ、交通費は支給」とありました。勉強させてもらうのだから給与をもらうという発想はそもそもありませんでしたが、さすがに家計が心配になりました。ただ、給与ゼロならそう競争率は高くないだろうと思ったのものの、・・・これが甘かった。2名の募集に対し、なんと12名の応募がありました。競争率6倍です!
資格こそ取得しましたが、会社はもう辞めています。いまのところ、他に行くところがありません。ここで落ちたら、もう自分はどうしたらいいのか。まさに背水の陣でした。
結果は、そう、いまこうしてFPやっているのですから、お察しの通り「合格」。ここから私のFP人生がようやく幕を開けました。
試練のFP修行
弟子として活動を始めたのが1998年。同年4月にはCFP(FPの上級資格)試験を受験し、6科目すべてに一発合格しました。
徒弟制度を行っているFPの師匠は小野さん含めて4人いましたが、最初は森賀津雄税理士の下で税務修行。その後、小野さんの下でFP実務の修行を始めました。何もかも初体験の仕事や出来事ばかり。慣れない仕事でいろいろな方に迷惑をかけましたが、先輩方から叱咤激励をいただきながら、頭をかきむしりつつ修行に励みました。そして、1998年10月には徒弟期間が終了し、いよいよ本格的に独立することになりました。
短い期間でしたが、とても厳しく、たいへん密度の濃い修行でした。そのおかげでサラリーマン時代の思い上がりや甘さを痛感しました。もし弟子にしてもらえていなかったら、独立はできなかったでしょう。感謝の気持ちで一杯です。
「家計の見直し相談センター」の立ち上げ
独立した翌年の1999年、高校時代の同級生が、勤めていた生命保険会社を辞め、一緒に会社を経営することになりました。しかし、人数が2人になっても、売上は2倍になるどころか横ばい・・・。報酬を出せない期間が続きました。
当時、家計の見直し相談をビジネスとして本格的に行っているFPはほとんどいませんでした。先輩FPには「お金の相談にお金を払う人はいないからやめた方がいい」とありがたいアドバイスも沢山いただきました。何度もくじけそうにもなり、とても苦しい時期でしたが、何よりあの想いが私を支えてくれました。
"自分を必要としてくれる人がきっといる。
俺がやらねば、誰がやる!"
コツコツと相談業務を重ねながら、経験と実績を積みました。同時に海外の事例なども参考にしながら、相談サービスの体系化と仕組み作りを続けました。世の中にない相談サービスを立ち上げようとしているのですから、苦労するのは当たり前です。準備の期間は2年以上の月日を要しました。
いよいよ本格的に相談サービスを始める準備が整いました。そこで、かつての師匠である小野瑛子さんに「一緒に家計の見直し相談サービスを日本中に広げて行きましょう!」と協力をお願いしました。日本中の家計が、家計を見直す相談サービスを必要としている、という想いは同じでした。再び一緒に活動を始めることとなります。
念願の本格的相談サービスをスタートさせることができたのは、2001年1月のことです。合言葉は"日本中の家計を元気に!"。こうして皆の想いを乗せて「家計の見直し相談センター」は船出したのでした。